かわいい後輩たちが、去年から準備をかさね頑張ってきた事業です。
いてもたってもいられず、迷惑だとは思いましたが朝一でお邪魔しました。
OBとして写真を撮りましたので公開したいと思います。





実際には火は出ていなかったみたいで安心しました。












































その後パブラウンジ ロサさんに移動して飲み直しです。



中締めで仲田OB会長共々おいたまさせて頂きましたが、本当にお世話をおかけいたしました。
仲田OB会長送り迎え有難うございました。
自分事で大変申し訳ないのですが、自分も25周年の時の部長でした。その時副部長で、自分の至らぬ面をカバーしてくれて、本当に一生懸命尽くしてくれたのが現埼玉県商工会青年部会長の小泉君でした。
10年前の自分の青年部の資料を見ると、本当にこんなにやってくれていたんだと、今更ながら感謝の気持ちでいっぱいです。
小泉君だけでは無く、その当時のメンバーも本当に一生懸命頑張ってくれましたが、ほとんどの方々はOBになってしまい、現在の現役部員ではほとんど一緒に活動した人は皆無だと思います。
話は前後しますが、自分は20周年の時の中村先輩が部長の時に入部させて頂きました。
常日頃活動を共にしていた大学時代の親友の突然の死に直面し、希望や生甲斐を失い、自分自身がどうして良いのかわからなくなっていた時、たまたまお声掛けを頂き、新しい仲間作りが出来るかな、との気持ちでお邪魔させて頂いたのを覚えています。
それも縁と言えばそうなのかもしれませんが、たまたま青年部に入った時期が20周年の佳境に入った時期で、20周年の用意に夜中の2時頃まで会議や、また周年事業の準備(絵画展)を、部員の皆が不平も言わず生き生きとしていたのを思い出します。
またそこにいる自分が何故かとても心地良かったのです。
20周年当日、大雪でした。道や駐車場には20㎝程度は積もっています。誰も指示しなくてもその当時の野島光伸君が早朝から自企業からホイルローダーを運転し駆けつけ除雪した事は語り草になっています。絵画展では未来の新座の夢を全市内小学生に描いて頂きました。その青年部として大それた事をやる度胸と実行力と連帯感に惚れてしまったのかもしれません。
25周年の年、私は部長に推挙され、やり遂げなければいけないというその途方もない緊張感と戦う事になりました。人に動いてもらう難しさ、人にわかってもらう難しさをいやというほど味わいました。すべて自分のふがいなさから来るものであり、自己嫌悪の連続でしたが本当にその時のスタッフ、委員長が良くやって頂いたと思います。
25周年事業ははその当時ブームになり始めていたJリーグの選手を読んでサッカー教室を行うことになりまいた。Jリーグチームは地元浦和レッズにお願いしたわけですが、チームの事情に翻弄され、なかなかこちら側の確定事項が決まらない事に直面しました。
幸いにも事業当日は浦和レッズ選手も無事に駆け付けてくれて、子供たちに少しだったかもしれませんが夢や希望を与える事が出来たと思っています。
それ以上に事業当日、冬の猛烈に寒い中、陽が上がる前から集合してくれてセクション毎に本当に一生懸命頑張ってくれた部員に、本当に今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
25周年すべてが終わり、今だから言えますが小泉君と2人でしばらくの間キャバクラ三昧を重ねました。解放された感からこの様な行動に走っていた訳ですが、思いがけず小泉君の口からに是非自分も周年時に部長になりたいと言われました。なかなかそうは思ってもなれないのが部長です。ほとんど自分の意志では無くその時の一番ふさわしい方が部長になるわけです。しかし本当に部長になってしました。誰からも30周年は小泉で行こうという勢いを感じました。
30周年、小泉君が部長になり周年事業を行いましたが、その当時自分はOBになっておりました。
正直見ていられないというか、現役でも無いのに変に緊張感があった事を思いま出します。
それからの活躍はご存じの通りです。本当に素晴らしいです。
今年35周年は秋葉部長が行ってくれました。自分の時から10年も経つとちょうど孫の成長を見ているのと同じ気持ちなのでしょうか?責任が無い分だけとても楽しく気楽に見させていただく事が出来ましたが、感じた事は、ちゃんと過去の経験を活かし進歩しているなということです。経験を生かしている事に青年部の成長を見た感じがしました。
またこれからも青年部は続いて行きます。この良き想いを伝えるためにも、日頃からの青年部事業を手抜きせず、また今周りは何を求められているのかを真剣に考えて、とらわれる事無く行動して行くことだと思います。
来年4月から、またいつもの青年部が始るわけですが、その時々の部長を始めとするスタッフ、部員の想いは周年事業の年となんら変わることは無いと思います。
4年間の想いを、一つにまとまるのが周年時です。とても周年の年度だけの力でまとめ上げることはできません。
青年部の仲間としての絆を大切にした特に30周年以降の結束力があってこその今回の35周年があったと思います。しつこいですが、間の4年間の努力があって良い物が出来たと確信しております。
私はこの会に入っていて本当に良かったと思っています。
どうか自分と同じように、部員を沢山生み出してもらえる様に、これからも想いを伝えて下さい。
35周年事業、本当にありがとうございました。とても嬉しく頼もしく感じました。
0 件のコメント:
コメントを投稿