2009年3月17日火曜日

鹿児島の旅 3日目

3日目の朝、6時に起床しました。早く起きた理由は、宿泊したホテルの前の桟橋から日の出が見たかったからです。
だんだんと桜島から陽が昇ってきます。

太陽が出ました。神々しいです。海と山と陽の組み合わせが出来るところはそうそう無いと思います。
ホテルに戻り一人食事を頂きます。 

ホテルのロビーに青年部員、午前8時30分集合して研修地に専用バスで向かいます。まず知覧武家屋敷に到着です。
庭園が素晴らしいです。枯山水だそうです。

こういう庭、昔うちにもありました。


素晴らしく手の行きとどいたもので、感動しました。興味無い人には全然面白くないでしょうが。
その後今回の研修地、知覧特攻平和会館に向かいます。
山桜が綺麗でした。

館内は撮影禁止の為、写真はありません。

館内の様子はこちらを見てください。リンクしてあります。
野口健 知覧をおとずれて

人それぞれ、思想、考え方は違うと思います。極めて素直に感じた事を書きます。

覚悟ができた人間は幸せだ!

とれだけ深く覚悟ができたか、その深さによって自分の心の奥底にある考えが浮かんでくると思います。
私たちでも何かを成し遂げようとか、組織をしょって立つ時、その重圧にもがき苦しみ覚悟した時、決して普段では考えなかったことが浮かんできます。

特攻で散った兵士たちも日常がどれだけ幸せなのかを知った事だと思います。親のありがたさ、家族への想い。平和への想い。
とても17歳や20歳前後の男子が書く言葉ではありません。
特攻で散った同じ年頃の男子を持つ親としては、悔しくてなりません。こんな言葉を書かせた事に。悔しくて涙が出ました。

でも覚悟ができた特攻隊の兵士は幸せです。想いを伝える事が出来ました。

東京大空襲で10万人 広島、長崎で核兵器で一瞬で殺された人は覚悟もできず、自分の想いを伝える事もできず死にました。

良く父から東京大空襲の話を小さいうちから聞いていました。うちの元の住所は墨田区本所ですので戦火の一番激しく、戦死者(焼死者)が一番多い地域ですのでこの場所から命かながら生き延びることはなみ大抵で有りません。その中で父が死んでしまっていれば、今の私がいるわけでもなく、話を聞く事も無く、父の想いも伝わらなかったと思います。

戦争とは本当に理不尽で、悲しい事です。

特攻で散った先人の教えを無駄にする事なく後世に伝える事、そして純粋にそれを感じ取れる心、教育が本当に必要だと思いました。

最後に、ここを離れる時、思いっきり平和の鐘を叩き、尊い命に手を合わせてまいりました。
またこれからは自分のご先祖様にも極力手を合わせるようにしたいと思います。(ようやっとそう思える年になりました)



さて知覧でたっぷり時間を取った後、桜島にフェリーで渡りました。
桜島の温泉に浸かる事になりました。
専用浴衣に着替え入浴です。
おもいおもい浸かっていると、青年部恒例悪ふざけが始まりました。
決して入ってはいけませんと書いてあります。
悪ふざけ組が海中に入ると
気持ちイイ
けどイテテててというわけで、ウニの棘を踏んでしまったようです。痛そうです。大丈夫だったでしょうか?
その後一人は修行に出て
男性と、女性の神様に手を合わせていました。

その後桜島展望台を見学
バスガイドさんと記念撮影をしてますが、なぜか自分の方を見てにっこり
そして鹿児島空港に到着しバス旅行は終了しました。
鹿児島空港で締めの挨拶を行い

帰りもクラスJで機中の人となりました。楽ちんです。

羽田到着後、リムジンバスで長久保まで乗車し、午後11頃帰宅致しました。

今回いろいろ考える事が出来る大変楽しい旅でした。部長を始め委員長、そして卒業生の皆さま、部員の方々、本当に有難うございました。

また参加していないにもかかわらず、ご祝儀を頂いたOB各位に感謝いたします。

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