ゴールデンウィーク後半、5月3日.4日と単独ボランティアの計画を立てました。
計画したのは南相馬市の元消防団の方々や現消防団員、青年団の方々が活動している復興浜団という私的な小さな団体であります。この団体の存在はあるボランティアで活躍している1人の青年からの呼びかけで知りうる事が出来ました。
この復興浜団の呼びかけに答えるかたちで参加を決めました。当初は2日夜現地入り、そして3日、4日と活動する予定でしたが、2日晩からの大雨で予定を変更、わずか一日の行動になりますが3日夕方から現地に赴く事にしました。私の判断が正しかったみたいで南相馬市でも3日の日は豪雨で活動は中止になったそうです。
それでも私が向かった3日夕方からにかけても猛烈な豪雨で東北道は雨で通行止めになり、やむなく常磐道経由で向かいました。高速は豪雨で前が見えない程でしたがなんとか常磐道小野ICまでたどり着きそこから真っ暗な道をナビ便りになんとか南相馬市までたどり着く事が出来ました。途中崖に突っ込んでいる車や道路が冠水してやばい状態のところをひやひやして通過しました。原発の原因で大回りをしなくてならない南相馬市は完全な陸の孤島とかしてました。
到着後コンビニ食とビールで喉を売るわした後、車中泊で朝を迎えました。
翌朝、道の駅に集合し、乗り合いで20㌔圏内の被災地域に向かいます。
まだそこはあの時のまま、何も変わらずかえって悲惨な状況にありました。一年間手つかず、何も出来ぬまま放置された家や家財はめちゃくちゃに壊れ、津波の被害だけでなく泥棒さんが大活躍で大変な被害状態であります。
目の前の松林もすべて根こそぎなぎ倒されてこの民家に突っ込んでました。
今回はこの一軒のお宅の敷地全部の草刈、家屋隣接部の表土の一皮剥き(除染)等を40人掛かりで徹底して行いました。その様子を朝日新聞のカメラマンが取材に入っていましたので記事をご覧ください。
目の前の水田も荒れ放題で瓦礫置き場になっており、この地域の再生を日本人の共通認識として考えなくてはならいと思います。
ボランティアを終わり帰りの通過地点、飯館村では水田や畑が完全に荒廃していました。
この地域に住めないと判断して出て行った人たちも多いと聞きます。
悲しい光景が有りました。
何とか同じ国民として力になりたいと思いますが、結局は無力感にさいなまれます。
政治家の皆さん、早く行動を起こして下さい。
早急に現地に入り視察して欲しいと思います。目で見なくてはわかりません。
現実に起きている事を確認して欲しいと思います。
川俣町でくると表面上の町の賑やかさが戻っていました。
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