2011年8月20日土曜日

次男と福島いわき市へ (思いを馳せる)

いわき市復興支援ボランティアに参加してまいりました。今回は次男と2名での参加です。
今は亡き義父の生まれ故郷という事も有り、微力ながらでもお手伝いできればと言う気持ちで行動したしだいです。
 まず社会福祉協議会に向かいます。受付は午前9時からでしばらく外で待っておりました。
 午前9時近くになると続々と人々が集まってまいります。
 そして本館5階に移動してマッチングという物を行うのですが、立候補するタイミングが難しくどの案件に手を上げればよいのか迷いました。後ほど詳しい事を書きたいと思いますが、運よく立候補した案件に参加出来る事になり車でリクエストのあった場所に移動する事になりました。
 場所はいわき市にある海岸沿いの高校の正門前道路の側溝掃除です。高校敷地内は以前のボランティアさんが掃除を済ませてあるのでしょう、うずたかく土嚢袋が積み上げてあります。
 早速作業に取り掛かりますがすでに11時過ぎです。猛烈な暑さと力仕事にくらくらしっぱなしです。心拍数も異常に高く正直参ったなと思いました。
 作業始めて一時間ほどで昼食です。目の前の浜は夏の最盛期なのに人っ子ひとりいません。誰も海に入っていないのです。海はとても綺麗なのですがあまりの寂しさに気持ちが折れそうでした。
食事を頂いていた場所のすぐ脇には魚網の会社がありました。
 次男はとても優しくて人の気持ちになれる言葉をかけてあげられます。その為年上の人や子供たちからもすぐに打ち解けて色々な事を話して頂けました。
この魚網会社も津波で甚大な被害を受けたそうです。このお爺さんも津波の瞬間、この倉庫から道路隔てた家の屋根まで流された事、助かったのは屋根の上、そして仲間7名は無事であったがその家族には犠牲者も出たという事、すべてが本当に事実で重い話です。



 短い昼食時間が終え、午後の支援に入ります。


 ちなみにこの土嚢袋、一つが20㌔は楽に有ると思います。もう握力は無くなるし汗は尋常じゃないほどかくし、もうボロボロです。
  とんでも無い暑さの中皆必死に力を出し、声をかけ頑張りました。そして埋もれていた側溝が本当に綺麗になりました。午後3時に作業を終え、かたずけをし、30分近くかかりましたが無事社協にもどりました。
 作業道具の返還、数のチェックをして無事終了した事になります。最後にこのチームで記念写真を撮り解散となりました。皆さん本当に良い顔をしています。そして若い人同士は本当に羨ましいというか、メールアドレスの交換をしたりして別れを惜しみながらもまた次の接点を繋ぐようにしておりました。こういう若い方々がいれば日本は必ず良くなると思います。
ボランティア終了後はいわき湯本温泉、駅前のみゆきの湯に立ち寄り汗を流します。
しかし暑い、お湯から出ても汗が吹き出します。

温泉終了後はいわき市内のスーパーで買い出しをして小玉湖キャンプ場に移動しましたが、あたり一面真っ暗、人っ子一人いません。大自然に二人だけ。なんかとっても怖いというか厳しい環境でしたが飲んでしまえばこっちのもんだいという事で焼肉やってたくさん食べ、飲み、色々な事を話しました。
今日見てきた光景、そして自分のこれからの事など普段と違う環境世界の中で、良い関係を作れたのではないかと思います。


二日目は午前5時頃から目が覚めてしましいました。朝食終了後、移動し小玉ダムを見学に出かけました。


ここは鬼が有名らしいですね。ダムを見学して次の目的地、波立海岸を目指します。
ここ波立(はったち)海岸は津波被害が深刻な所でもあります。珍しい地名が妻の旧姓と同じという事で立ち寄ったわけですが、国道6号沿いのレストランは一階部分はめちゃくちゃですが2階は人が住んでいるような光景に出合いました。動画サイトの映像とまだあまり変わらない光景が続いておりまた。


波立海岸から海沿いに小名浜を目指します。海沿いの家、漁港は甚大な被害を受けておりました。数々の迂回をしながら小名浜に到着しました。ここは義父の生まれ故郷、小さい時に海で兄たちと泳いだことなど聞いておりました。しかし12年前、63歳という若さで亡くなってしまったので詳しい事はわからなまま、現実にどういう環境だったのかとても興味が有り現地に赴きました。
現地に車を置き、歩いて小名浜の地を巡ります。50年以上前の景色を想像し、義父の小さかった時を想像し思いを馳せます。
現地の人々に声をかけ色々聞いてみましたが、当時のことを知る人はいませんでした。それでも何となくイメージとして感じることが出来ました。

 わかったことは今の海岸線と昭和初期の海岸線では全然違う事、津波被害を受けた小名浜駅前が海だった事、そして小名浜竹町はかろうじて津波被害を受けておりませんでした。後わずか50メートル程でした。昔の海岸線では小名浜の町は壊滅状態だったと思います。
小名浜駅(貨物駅)

沢山歩いて、市内を見てまわりました。ほとんど人影が有りません。
そこには、必死で生きる人(土木作業者など)と半ばあきらめた人たちが同居する静寂な世界が広がっていました。


小名浜の町を後にして昨日も行ったいわき湯本温泉に向かいます。距離にして7㌔程度でしょうか、元々は常磐炭田があった場所で昔から栄えている街だそうです。でも今は、温泉地なのに夏休み期間なのに観光客は人っ子ひとりいません。いるのは地元のお年寄りと、地元高校生、復旧作業員程度です。
本日お邪魔したのは、さはこの湯温泉保養所です。硫黄の香りが心地良いです。お湯はとても暑く息苦しい程で、隣にいた爺さんは死んじゃいそうだ(笑)と。
湯上りに受付の方々と歓談致しました。それはこちら東京方面とは格段の違いの危機感に溢れていました。津波よりも放射能、孫の事やこれからのいわきの事など、本当に重いです。ただボランティアに来てくれて本当に有難うと心の中から言ってくれて、なんか救われた気がしました。
一風呂浴び、さっぱりして今回のいわき訪問を終えることに致しました。

今回の感じたこと
ボランティアに対して色々な意見や考えもあると思います。 地元の人達の職を奪っているとか、善意の押し売りだとかいう人たちがいるのも事実だと思います。ボランティアに行くよりも東北産のお酒を一本買うほうがよっぽど地元の為になるというような極端な意見も有るようです。本当にそうでしょうか?
 今回何回も有難うを言われました。いわきの為にわざわざ来てくれて有難うと。握手を求められたこともありました。皆それほど地元の事を心配しているのです。心底不安だと思います。だから何とかしたいのです。
自分の気持に正直に行動している若者や自分みたいなおじさん達は決して責めることはできないと思います。国や行政が今のこの時になっても手付かずの場所、人々がいることに気つかず政争に明けくれていること事態が異常です。異常事態だからこそ、本当に微力でも役にたちたいと思う気持ちだけです。
政治家、行政に携わる人達こそ被災地に行って話をして、現状を見るべきだと思います。今何が大切なのか本当に考えてもらいたいと思います。

気付
地元の人達はしゃべりたい。
これは本当に感じました。皆疲れています。現状に嫌になっていると思います。力仕事などのボランティアニーズもそろそろ終了する時期に来ていますのでこれからから心のケアーまではいかなくても話相手程度のボランティアなども良いのではないかと思います。こういう時こそ行政に携わる人々、福祉、心理、法律関係の学生さんなどがボランティアに向かえば地域の人達の心は救われると思います。


ボランティアセンターの現状
今回もニーズと、ボランティアの数とのマッチングに問題がありかなり難航しました、というのも誰でも出来るというか力仕事関係はほとんど無くなってきているのが現状だと思います。今回お邪魔したいわき社協も8月いっぱいでボランティアの受入を終了するそうです。
だけどこれは行政の都合だと思います。現状はもっとニーズは有るはずです。話相手のボランティアでも良いではないですか?
瓦礫や、砂埃で街の中も汚れまくっています。当然家の中も汚れていると思います。大掃除ボランティアなんていうのも良いと思います。お年寄りの方々が多いので必ず受け入れてもらえると思います。被災されていようがいまいが、この地域に入って活動するのです。そうすれば必ず活気は生まれます。とにかく人が入ることが大切だと思います。

以上感じた事を書き並べました。
尚、写真は被災者がいないことを確認してアップ致しました。


1 件のコメント:

秋葉 さんのコメント...

先日は、コメントを頂きましてありがとうございます。
お礼のコメントを投稿させて頂きます。

御子息と一緒にボランティア活動をされていらっしゃるという方は、少ない様に思いますが実際は如何なのでしょうか。
日が暮れた後の七輪をみると、本当に羨ましい時間がそこにあることを感じます。