2009年3月29日日曜日

結果を出す

オリンピックでの結果
WBCでの結果
世界フィギアでの結果

スポーツの世界では結果が第一

私たちの世界でも同じですが、この今の日本は結果に対して考えが甘い感じがしてなりません。

甘いというよりも、出した結果に責任をとらない。終わった事は過去の事、もうどうでもいいや。

私が登山家として尊敬する野口健がこのような記事を書いていました。

私も知覧に行ってから、何か心の中のスイッチが入った感じがします。
知覧から帰って来てから、子供たちと一緒に

石原慎太郎作品「俺は、君のためにこそ死ににいく
をDVDを借りてきて見ました。

いつもはなんだかんだと映画批判しながら見ている、長男、次男ですが今回は静かに見ていました。
感じるところはあったんだと思います。


戦後教育を受けた私たちは何も知らず、教えられず今まで生きてきました。でもこのままでいいわけありませんよね。
誰から生まれて、誰の為、何の為に生きていくのか!
今からでも出来ることはあると思っています。
真剣に考えます。

追伸
自宅の目と鼻の先でPAC3が配備されました。
ここは首都防衛最前線

2009年3月17日火曜日

鹿児島の旅 3日目

3日目の朝、6時に起床しました。早く起きた理由は、宿泊したホテルの前の桟橋から日の出が見たかったからです。
だんだんと桜島から陽が昇ってきます。

太陽が出ました。神々しいです。海と山と陽の組み合わせが出来るところはそうそう無いと思います。
ホテルに戻り一人食事を頂きます。 

ホテルのロビーに青年部員、午前8時30分集合して研修地に専用バスで向かいます。まず知覧武家屋敷に到着です。
庭園が素晴らしいです。枯山水だそうです。

こういう庭、昔うちにもありました。


素晴らしく手の行きとどいたもので、感動しました。興味無い人には全然面白くないでしょうが。
その後今回の研修地、知覧特攻平和会館に向かいます。
山桜が綺麗でした。

館内は撮影禁止の為、写真はありません。

館内の様子はこちらを見てください。リンクしてあります。
野口健 知覧をおとずれて

人それぞれ、思想、考え方は違うと思います。極めて素直に感じた事を書きます。

覚悟ができた人間は幸せだ!

とれだけ深く覚悟ができたか、その深さによって自分の心の奥底にある考えが浮かんでくると思います。
私たちでも何かを成し遂げようとか、組織をしょって立つ時、その重圧にもがき苦しみ覚悟した時、決して普段では考えなかったことが浮かんできます。

特攻で散った兵士たちも日常がどれだけ幸せなのかを知った事だと思います。親のありがたさ、家族への想い。平和への想い。
とても17歳や20歳前後の男子が書く言葉ではありません。
特攻で散った同じ年頃の男子を持つ親としては、悔しくてなりません。こんな言葉を書かせた事に。悔しくて涙が出ました。

でも覚悟ができた特攻隊の兵士は幸せです。想いを伝える事が出来ました。

東京大空襲で10万人 広島、長崎で核兵器で一瞬で殺された人は覚悟もできず、自分の想いを伝える事もできず死にました。

良く父から東京大空襲の話を小さいうちから聞いていました。うちの元の住所は墨田区本所ですので戦火の一番激しく、戦死者(焼死者)が一番多い地域ですのでこの場所から命かながら生き延びることはなみ大抵で有りません。その中で父が死んでしまっていれば、今の私がいるわけでもなく、話を聞く事も無く、父の想いも伝わらなかったと思います。

戦争とは本当に理不尽で、悲しい事です。

特攻で散った先人の教えを無駄にする事なく後世に伝える事、そして純粋にそれを感じ取れる心、教育が本当に必要だと思いました。

最後に、ここを離れる時、思いっきり平和の鐘を叩き、尊い命に手を合わせてまいりました。
またこれからは自分のご先祖様にも極力手を合わせるようにしたいと思います。(ようやっとそう思える年になりました)



さて知覧でたっぷり時間を取った後、桜島にフェリーで渡りました。
桜島の温泉に浸かる事になりました。
専用浴衣に着替え入浴です。
おもいおもい浸かっていると、青年部恒例悪ふざけが始まりました。
決して入ってはいけませんと書いてあります。
悪ふざけ組が海中に入ると
気持ちイイ
けどイテテててというわけで、ウニの棘を踏んでしまったようです。痛そうです。大丈夫だったでしょうか?
その後一人は修行に出て
男性と、女性の神様に手を合わせていました。

その後桜島展望台を見学
バスガイドさんと記念撮影をしてますが、なぜか自分の方を見てにっこり
そして鹿児島空港に到着しバス旅行は終了しました。
鹿児島空港で締めの挨拶を行い

帰りもクラスJで機中の人となりました。楽ちんです。

羽田到着後、リムジンバスで長久保まで乗車し、午後11頃帰宅致しました。

今回いろいろ考える事が出来る大変楽しい旅でした。部長を始め委員長、そして卒業生の皆さま、部員の方々、本当に有難うございました。

また参加していないにもかかわらず、ご祝儀を頂いたOB各位に感謝いたします。

鹿児島の旅 2日目

鹿児島2日目は、今回のメインイベント、開聞岳登山の日であります。指宿経由開聞まで行く電車は鹿児島中央駅朝4時51分発でとてつもなく早い時間です。ホテル起床3時50分、一階にあるコンビニで朝食と行動食を買いこみ、4時10分にホテルを出ます。15分かけて駅まで歩き、改札が開くのを待って電車に乗り込みます。
4時51分発指宿行き、2両編成のディーゼル車です。
都会人にはこのシステムは難しいです。何ていったて普段はパスモですから(笑)
指宿から、一両編成の枕崎行きに乗り換えます。
車窓から開聞岳が見えてきました。

無人駅、開聞に降り立ちます。降りた人は若い男性登山者と、朝帰りと思われる女性の3人でした。
早速歩き始めます。
この開聞岳、日本100名山にも選ばれている有名な山です。いろいろ調べてみるとかなり混雑しているみたいです。さっき一緒に降りた男性もいました。
順調に登り始めます。
ところどころ見晴らしの良い場所が有り、小休止をします。(20秒程度)
開聞岳のシルエットが映っています。
途中鎖場やはしごを抜けて、山頂を目指します。
ついに山頂に着きました。誰もおらず、また登山途中誰にもすれ違わなかったので一番のりだと思います。タイムは駅から2時間18分 午前8時48分着です。
池田湖が見えます。良い景色ですが黄砂でしょうか、霞んでいます。
駅で一緒であった若い男性とお互いに写真を撮りあいました。大阪から来ているそうです。
阿蘇や九州の山を登っているそうです。私の事を登るのが速くて驚いたと言っていました。
知覧方面を見ます。
太平洋戦争中、知覧の基地を飛び立った特攻機はまずこの開聞岳を目標に飛んだそうです。
特攻の兵士は、戦機に乗り込む為、地上から足が離れた時覚悟し、開聞岳上空で旋回しで祖国に別れを告げ、太平洋上に開聞岳が見えなくなった時、本当の覚悟を決する事を誓ったそうです。どうしてもこの目でその光景を見てみたいと思いましたが、実際今の自分の目からはあまりにも美しい風景と、平和な光景にただただ見入っているだけでありました。
そんなこんな言っても山は下りなければなりません。
下山はやはり苦手です。途中50人程度とすれ違いました。人気有るんですね、この山は!
グループで来ているおばちゃんたちが休憩中に出くわし、道をふさいでいたのですが、夏ミカンをもらったり接待されてしました。御馳走様でした。(笑)
午前11時頃2時間程度で無事山を下りてきました。
帰りはバスで指宿まで戻ります。電車を待っていると午後2時過ぎまでありません。それほどローカル線なんです。
開聞11.26分発池田湖経由指宿行きに乗りこみます。途中乗ったのは3人だけ、赤字でしょうね。
開聞岳に別れを告げて指宿砂蒸し温泉に向かいます。
砂蒸し温泉 砂楽 入湯料タオル付きで1.000円です。
砂浜から湯気が出ています。
カメラを持って行かず、砂に埋まっている所の証拠写真はありませんが、カメラ持参すると若い係員が撮ってくれます。
私は潮の関係でしょうか、屋外の屋根付きの部分で入浴というか砂に埋もれたのですが、思った以上に気持ち良く、すぐ寝てしまったみたいです。
通常10分のところを気がついたら20分も埋もれていて、おばちゃんがもっと砂をかけてあげようかというのでハイと返事をするとあちいに何の、ついに30分でギブアップです。砂から出る時、かなりの発汗が有る事に気が付きました。重い砂を払いのけ立ち上がろうとした時、足が攣りました。かなりの脱水と重労働見たいです。入浴する前に十分水分補給をどうぞ。施設は綺麗だし。若い女性が多いのでお勧めです。なんせ浴衣の下はすぽっぽんですから(笑)


指宿を午後2時過ぎ後にし、今日の宿泊ホテル、鹿児島東急ホテルに向かいます。到着後1時間近く仮眠を取りました。

夕方6時、青年部と合流です。これから宴会場所(居酒屋)に歩いて向かいます。
部長や
委員長挨拶の後
宴会は始りました。
女性もいるので、はじけ始めています。
我が単会は現県青連会長を輩出しております。その関係もあると思いますが、鹿児島県青連会長である中野会長が駆け付けてくれました。OBを代表してお礼申し上げます。有難うございました。

現役のおかげで、やーとても楽しい夜でした。鹿児島人最高です。この縁を大切にしてってください。

その後ホテルで登山の疲れから撃沈、真夜中から朝方にかけて、夢の彼方でうんばば出現で寝不足になりました。